今まで満たされなかった承認欲求が満たされていく・・・自己承認の素晴らしさ!

他者承認と自己承認

マズローはこう主張しています。

他者 からの尊敬や評価を得ることや、富や名声・権利を持つこと、注目を浴びることなどのいわゆる他者承認によって満たすことができるのは、低いレベルの承認欲求だけだと。

 

もし、この主張が本当ならば、どれだけ仲間から勉強や仕事の評価をもらっても、どれだけのたくさんの恋人と付き合えたとしても、どれだけフェイスブックで「いいね!」されても、ブログ記事が シェアをされても、満たされる承認欲求は低レベルの承認欲求だけだということになります。

 

低レベルの承認欲求だということはその欲求をどれだけ満たしても決して満足することができないということです。決して満足できないということは常に飢えているということになります。

 

本当に他人からの承認だけでは満足することはできないんでしょうか?

僕はできると思います。でも、満足できる時間は短いです。それは満腹状態と同じです。満腹状態は長時間は続きません。一日も経たないうちに空腹になってしまいます。それと同じように承認欲求が満たされ、満足した状態も長時間は持ちません。必ず近い将来、その満足は消えます。消えたらどうなるか?次の承認欲求が生じます。食欲と同じように満足が消えると再びその欲望が生じるのです。

 

承認欲求は食欲と同じように時間の経過とともに強くなるものです。承認欲求が満たされない時間が長ければ長いほど、飢えます。それは食欲と同じです。でも承認欲求と食欲には決定的違いがあります。それは承認欲求は食欲と違って満たされなくても死なないという点です。食欲は定期的に満たしてあげないと死にます。でも承認欲求は満たされなくても死にません。

 

死なないから承認欲求のほうがマシだとは思わないでください。食欲は満たされなければいずれ死にます。死ねばその飢えの苦しみから解放されます。生命活動が停止するのですから当然です。でも、承認欲求はいくら強くなっても死にません。どれだけ苦しくなっても死ぬことはありません。承認欲求はどれだけ満たされなくても生命活動が停止することはないからです。

 

だからある意味では食欲が満たされない以上に承認欲求が満たされないという状況は質が悪いのです。終わりがないからです。満たされない限り承認欲求はどこまでも際限なく強くなっていくからです。

 

だから承認欲求は上手に満たしてあげる必要があるんです。尋常ではない承認欲求の飢餓感に苛まれないようにするために。

 

でも、承認欲求は都合よく満たせるものではありません。食べ物のようにお店に売ってないからです。承認欲求を満たしてくれるものがコンビニ売っていれば楽です。でも、コンビニには売ってません。高級デパートにも売ってません。アマゾンでも楽天でも売ってません。どこにも売ってないんです。

 

承認欲求はだれかに満たしてもらうしかないものなんです。誰かに認められ、評価されて始めて満たされるものなんです。でも、他人はそう簡単に認めてくれたり、評価してくれたりはしてくれません。年齢を重ねれば重ねるほど評価される機会は減ります。相対的に批判される機会が増えます。年齢を重ねると高い良識と責任、能力を求められるからです。だからちょっとした失敗でも批判されるようになります。「そのくらいできて当然だろう。なにやってんだ」と。

 

つまり年齢を重ねれば重ねるほど、他人に評価してもらうのは難しくなるということです。そんな状況では承認欲求を満たし続けるのは不可能です。確実に年齢を重ねるごとに承認欲求が満たされない飢餓感が強くなっていきます。

 

どうすればそんな悲惨な飢餓状態になる未来を回避することができるか?

自己承認です。自己承認ならそんな悲惨な未来を回避することができます。

承認欲求を満たしてくれる誰かは他者である必要はないんです。その誰かは自分でもいいんです。自分でも承認欲求は満たせるからです。

 

自己承認ならいつでもどこでも行うことができます。つまり、いつでもどこでも承認欲求を満たすことができるということです。

 

マズローは自己承認が唯一高レベルの承認欲求を満たしてくれると言っています。その言葉が本当かどうかは僕にはわかりません。でも、自己承認には他者承認にはないメリットが存在します。そのメリットは他者承認を上回る満足を自分に与えてくれると僕は思っています。

 

自己承認のメリット

プロセスの承認をすることができる

他者承認は、結果で評価されることが多いため、能力や才能の差が如実に現れてしまいうことが多いです。一方で自己承認は、結果を承認することももちろん可能ですが、他者承認では得られにくい、プロセスの承認をすることができます。

 

当たり前のことでも承認することができる

自己承認ならばその当たり前のことでも承認することができます。「朝起きて会社に行ったこと」も「寝る前にお風呂に入ったこと」も「不平を言いたくなった時にグッとこらえたこと」も、「私よくやった!がんばった!えらい!」と承認してあげることができます。 その自己承認は、他者からもらう承認よりも高い満足を与えてくれる可能性を秘めています。

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他人に褒めてもらうのは困難です。

けれど、自分で自分を褒めることは簡単にできます!

さあ、今から自分で自分を褒めることをはじめてみましょう!

 

自己承認のやり方

朝、起床 時間 にきちんと起きれたら、すかさず「時間通り起きれた 私すごい!」と言葉にしてください。 歯を磨いている時に、「朝からきちんと歯を磨いた私すごい!」と褒めてください。世の中には時間通り起きれない人も、朝歯を磨かな い人もたくさんいるのに自分は規則正しく生活できていると褒めてください。

 

始めのうちは「自分を褒めるなんて抵抗があるな」と感じると思います。大丈夫です。やっているうちに慣れます。慣れてくれば抵抗感は消えます。

 

ラベリング理論という言葉をご存知ですか?

ラベリング理論とは、1960年代にハワード・S・ベッカーによって提唱された逸脱についての概念です。

 

ラベリング理論では、反社会的行動をする人は、その行為の動機や原因を問題とするのではなく、周囲の人がその人にラベリング(ラベリングとは、ある人のごく一部を見ただけで、たとえば、たまたま机の上の書類が散乱していただけで、だらしが無いというラベルを貼り、決め付けるようなことを言います)することによって反社会的行為者となっていくと考えたのです。

 

この説明でよく用いられる喩えに、非行少年の話があります。例えば、素行に問題のある少年がいたとします。その少年がどんなに「自分は非行少年だ」と思っていても、それだけでは非行少年とはならないのです。周りの人が彼をそうラベリングし、非行少年として扱うことによって初めて成り立つというわけです。

 

つまりマイナス評価をされ続けるとそのマイナス評価通りの人間になってしまうということです。

 

この理論が正しければ自己批判ばかりしている人はその批判通りの人間になってしまう可能性があるということです。もし、この理論が本当なら自己承認し続けた人はその言葉通りの人間になれる可能性があるいうことでもあります。つまり、自分を褒め続ければ褒められるに値する人になれるということです。あくまで可能性の話です。でも、可能性がゼロでないなら自己批判するより自己承認したほうが得だと思いませんか?マイナスの自分になる可能性がある行為するよりプラスの自分になる可能性がある行為をしたほうが得だと思いませんか?

 

ラベリング効果だけが自分で自分を褒めるメリットではありません!

 

ピグマリオン効果という言葉をご存知ですか?

ピグマリオン効果はアメリカの教育心理学者、ローゼンタールが発表した心理学用語です。

 

ローゼンタールはある実験をしました。

教師に期待された生徒と期待されない生徒。

どちらの生徒が良い成績をとることができるか。

という内容の実験です。

結果は期待された生徒のほうが良い成績をとりました。

つまり、期待されなかった生徒は良い成績を取れなかったということです。

 

以上の結果からから、他者への期待値がその後の成長を決定づける大きな要因のひとつになると考えられるようになりました。

 

期待されているということはプラスの評価です。期待されていないということはマイナスの評価です。つまり、プラスの評価をされたほうが成長するということです。逆にマイナス評価されると成長することができないということです。

 

つまりプラス評価したほうがお得だということです。だから自己承認は理に適っているということです。

 

参考記事

思い込みの力が人生を左右する!「プラシーボ効果」「ピグマリオン効果」「ゴーレム効果」とは?

 

理に適った自己承認を恥ずかしがらずにやろう!

たまたまホームに着いた時に電車が来たら「私のことを待っててくれていたかのようなタイミング!私ってやっぱりすごい」と自己承認しましょう。逆に電車が遅延したとしても「神様が電車を遅延させることで私を落ち着かせようとしてくれている!私すごすぎる」と承認してあげましょう。

とにかくなんでも自己承認してあげてください。馬鹿みたいに思えるかもしれないけど、やってみると本当に馬鹿みたいなので面白くなると思います。回数を重ねていくとその言葉がストンと受け取れるようになる時があると思います。そうして得られた自分への評価は、誰かにしてもらう評価よりもよっぽどあなたの自信につながります。

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人はいつだって褒められることを求めています。でも、他人はなかなか褒めてくれません。そんな気まぐれな他人の褒め言葉を待っていたら、欲求不満で病気になってしまいます。そうなる前に自分で自分を褒める習慣を身につけ、自分の承認欲求を満たしてあげましょう。

 

自己承認の実践編

仕事編

たとえば、頑張ってヘトヘトになりながら仕事をしているのに自分は評価されないときがあります。それなのに、全然仕事できない同僚が上司に評価されるときがあります。「自分はこんなに頑張っているのに。どうして自分は評価されないんだ。不公平じゃないか!」そう思いたくなるような状況に陥るときがあります。

 

そんな時は、 まずは自己承認。

 

「上司に評価されないのは、上司の中で私に対しての当然の基準が高くなっているということだ。つまりそれだけ上司に私は期待されてるってことだ。私すごい!」と褒めてあげましょう。

 

あるいは、「進捗に対して40%しか仕事が進んでいない」と自分を責めてしまいそうになったときは「40%までは進めることができた」といういう風に 見方を変えて自分を褒めてあげましょう。

「できていないこと」よりも「できている」ことに目を向けてみると、自己承認ポイントを見つけやすいです。 「できていないこと」をクローズアップすると、あなたの脳は「できない自分」のイメージを強く印象付け、自己批判の傾向が強くなってしまう。

 

「できた」ことにフォーカスすれば、「できる自分」のイメージが強くなる。残りの40%をどう進めるのかは、自己承認が終わった後、考えればいいのです。

 

自分を成長させるのには自己批判も大切な行為です。でも、自己批判ばかりしていると「ダメな自分」のイメージばかりが自分の中で大きくなってしまいます。なので自己批判する傾向が強い人ほど意識的に自己承認をしてほしいです。それを繰り返していれば自分の中に出来上がってしまった「ダメな自分」のイメージを少しずつ変えることができるはずです。

 

「ダメな自分」というイメージは、人から自信と意欲を奪う

自己批判のし過ぎによって作り上げてしまった「ダメな自分」というイメージは人に劣等感を抱かせます。劣等感は人から自信と意欲を失わせます。自信と意欲を持つためには「良い自分」というイメージが必要です。そのイメージを作るためにも劣等感の強い人・自信のない人は積極的に自己承認してほしいです。

 

恋愛編

承認欲求が満たされていない人は、「こんなダメな私」を自己承認することができないので、「こんなにダメな私」を承認してくれる相手を無意識に求めてしまいます。それは恋愛ではなく、依存です。依存状態にあると自分の承認欲求を満たすために相手を利用してしまいます。依存度が酷ければ酷いほど自分の承認欲求を満たすために相手を利用してしまいます。あらゆる方法を使って自分の承認欲求を満たそうとしてしまいます。

 

依存状態にならないためにも小さな自己承認を重ねてあげよう。

 ヘアスタイルを整えている時、眉毛を整えている時、カガミに向かって笑顔の練習をしている時、どんな時でも構いません。「毎日自分磨きをしてる私すごい、偉い」と自分を褒めてあげてください。それを繰り返してください。小さな自己承認を重ねてください。そうすれば自分の褒め言葉を信じることができる日が来るはずです。なぜならその褒め言葉は間違っていないからです。正しい言葉だからです。ただ当たり前のことだという思い込みのせいでその行為が褒めるに値することではないと思い込んでいただけなのです。

 

この世界に当たり前のことなんて存在しない

この世界に当たり前のことなんて存在しないのです。いつその当たり前と思っていることが終わってしまうかわからないのです。病気や事故のせいでその当たり前と思っていることができなくなってしまう可能性があるのです。すべてのことにその可能性があるのにそれを多くの人が忘れて生活しているのです。だから当たり前と思ってしまうのです。当たり前のことは永遠に当たり前のことだから褒めるに値することではないと思ってしまっているのです。

 

当たり前のことは何ひとつないんです。生きていることだって当たり前のことではないんです。だから当たり前と思うのをやめてください。そうすれば自己承認が自然なことだと感じることができるようになるはずです。

プライベート編

早起きできたとき、「早起きできた自分は偉い」と褒めてあげてください。早起きできない可能性だってあったはずなのです。でもきちんと早起きできたのです。それは褒めるに値する行為です。

 

歯磨きすることも朝食を摂ることも当たり前のことではありません。なので褒めるに値する行為です。歯磨きや朝食がきちんととれる健康状態を維持している自分はすごいと褒めても何の問題もなのです。それを間違っていると指摘する人がいたとしたらその人の考え方が間違っているのです。

 

電車や車で無事会社にたどり着けたことも褒めるに値する行為なのです。予期せぬ事故やハプニングで会社にたどり着けない場合だってあるからです。

 

夜、眠れる状態にあることだって褒めるに値することなのです。

 

考え方を変えるだけで世の中の見え方が変わる

当たり前という考え方で世の中を見ている人はすべてのことが当たり前のこととして片付けてしまいます。ひどい人は当たり前のことではないことすら当たり前と片付けてしまいます。たとえば人の死。人の死は見方によっては当たり前のことです。人はいつか死ぬのですから当たり前のことと解釈することも可能なのです。そんな解釈の仕方で生きていたら何に対しても無感動な人になってしまいます。そんな無感動な生き方など人間らしい生き方とは思えません。人間らしい生き方とはさまざまなことに感動できる生き方だと僕は思います。

 

その感動の中には、自分の行為に感動できることも含まれています。自分のさりげない行為に感動することができれば、自己承認することも自然にできるようになります。美しい景色を見て、感動して、その景色を褒めるように自分の行為に感動して、その行為を褒めることができるようになるはずです。

 

そうなるために大事なのは、一般的に当たり前と思われていることを当たり前と思わないことです。そうすればあらゆることに感動することができるようになります。

 

残念ながら現代人の多くは、当たり前に毒されています。そのせいで感動する力が低下してしまってします。そのせいで褒めるより批判する傾向のほうが強くなってしまっています。その結果、誰かを傷つけたり、うつ病になったりする人の数が増えています。

 

批判的な人、うつ状態にある人などは一度、立ち止まって自分の価値観を見直す必要があると僕は思います。自分の価値観がどれだけ当たり前に毒されているか否かを確認するために。