「いじめ」は他者の人生を狂わせる いじめには罰則が必要だ。そうしないといじめは減らない!

いじめに遭った人は長い間トラウマに苦しめられるリスクが高くなる

英国のキングスカレッジの研究者らが7771人を対象に50歳まで追跡調査を行った。

 

それによると、28%の人が7~11歳時に時々、15%が恒常的にいじめを受けていて、そうした人は40年たってもなおトラウマに苦しんでいることがわかった。

 

また、いじめを受けた人は大人になってから健康面で問題がある人が少なくなく、うつや不安障害、自殺願望を抱えている人が多かった。さらに、学歴が低く、無職だったり、収入が少なかったりする傾向も認められた。

引用:学童期のいじめ被害は長期にわたって心身に影響、50代で自殺する人も
 

 ●僕の意見

いじめのせいで40年にも渡ってトラウマに苦しめられることがある。いじめた側はいじめたことなどすぐに忘れてしまうのに。不公平な話だと思う。いつだっていじめのことを長期に渡って憶えているのは被害者の側だ。痛みの記憶というのはそれくらい長く人の心に残るということだ。いじめる側の人にはその痛みはわからない。だからいじめる側にはいじめの記憶は残らない。本当に不公平な話だ。

 

いじめる側にも痛みの記憶は必要だと思う。いじめた罰という痛みを。その痛みを与えないかぎり、いじめる側は自分のしたことの罪深さはわからない。いや、罰を与えても、罪深さがわからない人もいるだろう。でも、罰を与えれば、いじめの抑止力にはなると思う。

 

いじめる=罰を受ける

 

その図式が頭の中にあれば、いじめの数は確実に減ると思う。

 

罰則を作るのは、良いことだとは思わない。でも罰則がなければ、いじめを減らすことができないことはもう明白なことだと思う。いわば罰則は必要悪だ。罰則が存在することは悪かもしれないが、でも人が人らしく生きるためには必要。いじめに対する罰則とはそういうものだと僕は思う。

 

いじめは子供がするもの。だから罰則など厳しいものは必要ないという人がいる。でも、いじめのせいで人生を狂わせられる人がたくさんいるのに、子供だから許されるという状況には問題あると思う。その問題を解決する手っ取り早い方法は罰則を作ることだと僕は思う。

 

僕は、いじめに対する罰則賛成派だ。そうすればいじめは減ると思っている。いじめで人生を狂わせられる人が減ると思っている。でも、いまだ、罰則が作られる様子はない。そんな状況を読者の方はどう思うだろうか?

 

小児期に頻回にいじめを受けた被験者は、45歳の時点で不安や自殺念慮または自殺企図を生じる率が、いじめを受けていない被験者よりも高かった。また、独身で孤立していることが多く、現在までや今後予測される生活の満足度が低かった。

引用:いじめの影響、中年期まで持続 【米国精神医学会】|米国学会短信|医療情報サイト m3.com

 

いじめの結果、苦しむ人は確実に存在する。そんな状況の中、いじめに対する罰則のない状況は、いじめる側を増長させる要因となる。罰則という抑止力があれば、その増長をある程度は抑えることはできる。死刑制度が犯罪の抑止力になるように。

 

今の日本はいじめる側に甘いと思う。その甘さが酷いいじめの温床となっている。

 

人は残酷な生き物だ。とくに感情コントロールの未熟な若者はその残酷さを他人にぶつけてしまうことが多い。いじめという形でその残酷さをぶつけてしまうことも多い。そんな残酷さの解消を抑止するにはやはり罰則は必要だと思う。

 

いじめにより心に深い傷を負うと複雑性PTSDというPTSDとよく似た症状が現れる。具体的には以下の様な症状が現われる。
・感情が失われる
・イライラが抑えられない
・周囲を信頼できない
・人と会うことが怖くなる

 

いじめられた人が他人を信用できなくなるのは当然のことだ。いじめられる人は誰も助けてくれない状況で一人で孤独に耐えている場合が多いからだ。そんな状況でいじめる側のいじめという暴力に耐えていれば、誰も信じられなくなるのは当然のことだ。人間不信になるのは当然のことだ。

 

さらにいじめられた経験のある人は自分に自信をなくす。いじめられるような自分は普通の人より劣った人間だと思ってしまうからだ。その自信のなさが他者との関わりを消極的にする。そのせいでコミュニケーション障害や適応障害になってしまう。それらの障害が進行して、引きこもりになってしまう人もいる。

 

そんな障害や引きこもりになった自分を情けないと思う。自己嫌悪を抱く。そのせいでジコ評価が下がる。結果、ますます自信を失い、障害が進行し、他者とのかかわりを避けるようになる。

 

以上がいじめられた人の人生が壊れていく一般的なバターンだ。多くのいじめられた人が上記のようなパターンで人生を狂わせていく。

 

いじめという卑劣な行為によって。

 

いじめは差別行為であり、迫害である。かつてヒトラーがユダヤ人を差別して、迫害した。いじめはそれと同じような性質を持った悪しき行為である。勝手な理屈で他者を苦しめる卑劣で愚劣で下劣な行為である。そう僕は思っている。

 

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いじめをする人は自分がヒトラーと同じような性質のことをしていると認識するべきだと思う。そうすれば自分がどのくらい悪質なことをしているかがわかる。もちろん、一般的ないじめの規模とヒトラーの迫害の規模は桁が違う。でも、いじめる人間とヒトラーには弱い立場のものを差別し、迫害するという共通の性質がある。それをいじめる側の人は認識しなければいけないと僕は思う。

 

いじめる側は独裁者だと僕は思う。一方的に相手を支配し、相手に暴力を振るい、相手から人としての尊厳を奪うことに喜びを感じる。そういうタイプの下劣な独裁者だと思う。

 

そんな下劣な独裁者であるいじめる側の人間の行動を抑止するには、罰則を作るしか方法はないと僕は思う。それ以外、いじめを減らす方法はないと思う。

 

どれだけいじめは悪いことだという道徳教育をしても、いじめる側にその教育が浸透するとは思えない。交通教育をしても交通事故が減らないのと同じように意味があるとは思えない。(僕的には交通に関する罰則も軽すぎると思っている。軽すぎる罰則は強い抑止力にはならない)

 

言葉はいじめに対して無力だ。あまりに無力だ。だからこそ罰則という具体的な行為が必要だと僕は思っている。それがいじめを減らす効果的な方法だと思っている。

 

罰則は暴力の行使だ。良いことではない。でも、いじめも暴力だ。暴力を防ぐには暴力しかない場合がある。アメリカの原子爆弾使用を抑止するためにロシアが原始爆弾を作ったように。原爆を使わせないように原爆を作ったように。それと同じようにいじめという暴力を使わせないように罰則という暴力を作る。それしか効果的にいじめを抑止する方法はないと僕は思う。

 

目には目を。歯には歯を。暴力には暴力を。そういうやり方は良くないかもしれない。でもそういう暴力的なやり方をしないといじめをやめられない人間が確かに存在する。そういう残酷な人間が確かに存在する。家庭内暴力をやめない人間と同じように、ストーカー行為をやめられない人間と同じように、いじめをやめられない人間が確かに存在するのだ。

 

そういう残酷な行為をやめられない人間に対しては罰則という暴力を使ってやめさせるしか方法がないのではないか。それ以外の方法はないのではないか。少なくとも僕にはそれ以外の考えは浮かばない。

 

僕はいじめには罰則が必要と考えている。法的な罰則が。この考え方を変えるつもりはない。

 

いじめをするような下劣な人間には罰を。いじめという暴力を使って独裁者のように他人を食い物にしている卑劣な人間には罰を。この考え方を僕にはやめることはできない。どうしてもやめることができない。

 

僕自身がいじめに苦しんだ時期があるからだ。たぶん、僕の中にはいじめる人間への憎悪や嫌悪があるのだと思う。だからいじめをする人間を見ると腹が立つのだと思う。だからいじめをする人間に対して罰を求める気持ちがあるのだと思う。罰という形で復讐しようとしているのだと思う。

 

でも、そんな気持ちだけで罰を望んでいるのではないと僕は持っている。経験的にいじめる人間の中にはいじめを楽しんでいる人間がいることを僕は知っている。いじめを反省することなくいじめを趣味のようにしている人間がいることを僕は知っている。そういう人間はどれだけいじめをやめてほしいと言ってもいじめをやめないことを僕は知っている。そういう悪質な人間がいることを僕は知っている。

 

そういう悪質な人間がいると知っているから、罰則は必要と思うのだ。悪質な人間に痛みをわからせるために。暴力というものがどれだけ痛いものなのかということをわからせるために。暴力性を強制的に抑制するために。