欲求不満がもたらす問題 欲求不満が強くなると「激しい嫉妬」に苛まれるリスクが高くなる!?

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欲求不満とは?

人にはさまざまな欲求不満がある

性的欲求不満。食欲的欲求不満。承認欲求が満たされないという承認的欲求不満。愛情が満たされないという愛情的欲求不満。金銭欲が満たされないという欲求不満。自由に生きたいのに生きられないという欲求不満。ストレスから解放されたいのに解放されないという欲求不満。僕が思いつくだけでもこれだけの欲求不満があります。

 

欲求不満は強くなる

欲求不満は欲求が満たされないと強くなっていきます。自分ではコントロールできないくらい強くなってしまうときもあります。

 

たとえば食欲。食欲が満たされない時間が長くなるほどに欲求不満は強くなっていきます。性欲も満たされない時間が長くなるほどに欲求不満が強くなっていきます。承認欲求も満たされない時間が長くなるほどに欲求不満が強くなっていきます。

 

どの欲求も時間の経過とともに強くなる性質があります。

 

欲求には個人差がある

食欲が異様に旺盛な人がいます。逆に食欲が異様に弱い人もいます。性欲が異様に強い人もいます。逆に性欲が異様に弱い人もいます。このように同じ欲望でも人によってその強さに差があります。

 

そしてその強さの差が欲求不満の強さにも生じます。

 

性欲の強い人は性欲の弱い人より強い性的欲求不満を感じます。食欲が旺盛な人は食欲が弱い人より強い食欲的欲求不満を感じます。

 

つまり強欲な人ほど強い欲求不満を感じるということです。

 

強い欲求不満は人を苛立たせます。

 

なぜ欲求不満だと怒りが生じるのか?

欲求不満という状態は人にとってストレスになる状態だからです。つまり、欲求不満でいるということは常にストレスに苛まれているという状態だということです。

 

ストレスは人に不快感を感じさせます。その不快感は人に怒りの感情を抱かせます。不快感が強いほど強い怒りを抱かせます。

 

欲求不満が強くなれば不快感も強くなります。不快感が強くなれば怒りも強くなります。つまり欲求不満が強くなると怒りも強くなるという比例関係が両者の間には存在するということです。

 

怒りは人を攻撃的にする

怒りは人を攻撃的にします。人はその攻撃性を解消しようとします。その攻撃性も欲求のひとつだからです。その攻撃欲を満足させないと今度は攻撃欲を満たせないという欲求不満に苛まれることになります。だからなんとかしてその攻撃欲を満足させようとします。

 

悪質な人間は自分より弱いものをいたぶってその攻撃欲を満足させます。暴走族などはケンカによってその攻撃欲を満足させます。普通の人は運動などによってその攻撃欲を満足させます。主婦は夫の悪口によってその攻撃欲を満足させます。被害妄想の強い人は他者に被害を受けているという妄想を抱いて他者を攻撃し攻撃欲を満足させます。自傷行為(壁を殴る、リストカットなど)によって自分を傷つけてその攻撃欲を満足させる人もいます。

 

攻撃欲は以上のような方法で満足させることができます。でもこの方法で満足させられるのは攻撃欲だけです。他の欲求不満は満足させることはできません。性的欲求不満を満足させるには性的な行為をしなければいけません。それをしないかぎり政敵欲求不満は続きます。その状態が続くということはストレスを感じ続けるということです。ストレスを感じ続けるということは怒りも感じつづけるということです。

 

欲求不満の人が怒りっぽいのは常に欲求不満というストレスに苛まれているからです。

 

性欲だけではありません。承認欲求、愛情欲求、金銭欲などの他の欲求が満たされていない場合も性欲と同じようなストレスに苛まれます。

 

欲求不満を抱えていると嫉妬を抱きやすくなる

心の中に欲求不満があると嫉妬しやすくなります。愛情的欲求不満。承認的欲求不満。性的欲求不満などの欲求不満が嫉妬しやすい精神状態にします。

 

欲求不満がひどくなるにつれてひどい嫉妬心を抱くリスクが高くなります。嫉妬は相手のものを自分のものにしたいという欲望です。当然、欲求不満がつよくなれば相手のものを自分のものにしたいという欲望も強くなります。それくらい酷い欲求不満状態というのはきついものなのです。

 

現代の日本人のほとんどは食欲が満たされないという欲求不満に苛まれることはありません。でも承認欲求が満たされないという日本人はたくさんいます。そのため承認的欲求不満に苛まれている人がたくさんいます。そのため酷い嫉妬に苛まれている人がたくさんいます。その欲求不満状態に負けて犯罪行為に走る人もいます。

人はなぜ嫉妬を抱くのか?

嫉妬は相手の持っているものをうらやましいと思っている状態です。うらやましいと思っているだけではありません。できるなら相手の持っているものを自分のものにしたいと気持ちも心の中にあります。相手の持っているものを自分のものにすることができれば欲求不満を解消することができるからです。

 

相手の持っているものを自分のものにしたい。その欲望こそが嫉妬の正体です。

 

欲求不満が強くなるほど嫉妬心、相手のものを自分のものにしたいという欲望が強くなります。でも、相手のものを自分のものにするのは簡単ではありません。合法的に自分のものにできるなら問題ありませんが、合法的に自分のものにできない場合は問題です。相手から無理やり奪うか盗むかという非合法的な方法を選択しなければならないからです。普通そんな方法を使うわけにはいきません。だから相手のものを自分のものにしたいという欲望を我慢しなければなりません。我慢は人にとってストレスです。その我慢のレベルが高いほどにストレスも強くなります。つまり欲する気持ちが強いほど我慢レベルも高くなり、ストレスも強くなるということです。

 

強欲な人ほど嫉妬心を抱きやすい

先に述べたとおり強欲な人は普通の人より欲求不満の程度が強いです。強い欲求不満を解消する方法があるなら問題はありません。でもその方法がなかなか見つからない場合は強い嫉妬を抱くリスクが高くなります。自分の欲求を満たすものを持っているすべての人に嫉妬するリスクも高くなります。

 

嫉妬は相手の持っているものを自分のものにしたいという欲求です。

 

性的欲求不満に苛まれている人はカップルを見て、嫉妬します。そのカップルの異性を自分のものにしたいという嫉妬です。異性を自分のものにできれば性的欲求不満を満たすことができる。だから力づくでもいいから相手のものを自分のものにしたいという気持ちが生じるのです。欲求不満が酷くなるにつれ、その気持ちは大きくなります。

 

もし、強い嫉妬を見境なく抱くような状態になってしまったら、犯罪行為をしてでもその嫉妬を解消したいという気持ちを抱いてしまうリスクがあります。実際、そんな気持ちを抱いて、犯罪行為に走ってしまった人もいます。

 

若い人の多くは強欲

若い人の多くは強欲です。そのため嫉妬心に苛まれやすい。上手に欲望を満たすことのできる人は嫉妬に苛まれるリスクが低いですが、若いうちは生き方が確立されていないため上手に欲望を満たすことができない場合が多い。そのため嫉妬に苛まれやすい。

 

若くなくても欲望を満たすのが上手ではない人もいます。強い劣等感を持っている人は承認欲求が強いため強い嫉妬に苛まれやすい。

 

劣等感の強い人の承認欲求が強くなる理由

承認欲求とは他人に評価されたいという欲望です。その欲望はすべての人の中に存在しています。だが、その強さは人によって違います。多くの人はその承認欲求を上手に満たして酷い欲求不満に陥らないようにします。でも劣等感の強い人は承認欲求を満たすのが上手ではありません。承認欲求を上手に満たすことのできないため欲求不満が募り、劣等感が強い状態になってしまっています。

 

劣等感の強い人はうたれ弱い

劣等感の強い人は批判に弱いです。少し批判されただけでも強い怒りを感じます。なぜか?劣等感の強い人は酷い欲求不満状態だからです。承認欲求が満たされてないという酷い欲求不満だからです。

 

承認欲求が満たされていない人は他者に承認されることに飢えています。飢えている人はちょっとした批判にも怒りを感じます。

 

空腹の猫を思い浮かべてください。その空腹の猫の食事の邪魔をしたらどうなりますか?怒りますよね。それと承認欲求に飢えている人は同じです。承認欲求に飢えてる人にとって批判をする人は邪魔する者なのです。自分の承認欲求を満たす邪魔者なのです。だから怒りを抱くのです。

 

承認欲求が満たされていない人が抱く怒りは自分の承認欲求を満たす邪魔をされたという怒りなのです。

 

そして人はその人がもっとも満たしたい欲望を満たす邪魔をされたときもっとも強い怒りを感じます。そのため承認欲求が満たされていない劣等感の強い人は承認欲求を満たす邪魔をしてくる相手に強い怒りを抱くのです。批判してくる人、笑ってくる人も承認欲求を満たす邪魔者です。だから強い怒りを抱くのです。批判や嘲笑が酷い人に対して強い怒りを感じるのはそれだけ邪魔だと感じるからです。

 

でも劣等感の強い人の中にはその怒りを相手にぶつけられない人がいます。そのため悔しさを感じてしまう。劣等感が強いほどにその悔しさも強くなります。涙が出るほど悔しいと感じることもあります。

 

欲求不満が強くなりすぎるとその欲求を満たすことに執着してしまう

欲望は強くなるほどに意識の中での存在感が増していきます。存在感が増すほどに人はその欲望に支配されていきます。その欲望を満たさずにはいられなくなっていきます。欲求不満に苛まれ我慢することが難しくなっていきます。やがてその欲望を満たすことしか考えられなくなってしまいます。

 

欲には人をその欲を満たすことだけに執着させてしまう力があるのです。

 

承認欲求が満たされていない人は承認欲求を満たすことだけに執着してしまいます。性的欲求不満の人は性的欲求不満だけに執着してしまいます。睡眠欲が満たされていない人は睡眠欲を満たすことだけに執着してしまいます。

 

欲望の存在をそこまで強くしないためにはどうしても欲望を上手に満たす必要があります。

 

でも欲求不満状態は悪いことばかりではない

欲求不満状態にもメリットはあります。それはがんばろうという意欲を持つことができることです。欲求不満があるということは満たしたい欲望があるということです。その欲望を満たすために人はがんばろうと思います。がんばってその欲望を満たそうとします。その思いが意欲を抱かせてくれます。

 

意欲は人に生きる活力を与えてくれます。欲望を抱くことによって意欲を抱くということは欲求不満になっても意欲を抱くことができるということです。

 

意欲を抱くことができる。がんばろうと思うことができる。それが欲求不満のメリットです。欲求不満が強くなるほどに高い意欲を抱くことができます。強烈な欲求不満を持てば尋常ではない意欲を抱くことができます。

 

でも、上記で述べたとおり、欲求不満が強くなりすぎると強い嫉妬や強い攻撃性などの問題が生じます。欲求不満はある段階まではやる気を抱かせてくれる薬になり、ある段階を超えると自分を見失う毒になってしまうのです。だから欲求不満は毒になるまえに満たす必要があるのです。

 

強烈な欲求不満に陥らない方法

前述したとおり、強烈な欲求不満に陥らない方法はありません。でも強烈な欲求不満に陥いる可能性を低める方法はあります。その方法をいくつか紹介したいと思います。

 

方法1・多様な価値観を持つ

ひとつの価値観に固執するとその価値観に執着してしまいます。執着の先に待っているのは依存状態です。依存症はひとつの価値観に執着した結果、生じる病です。お酒が好きな人はお酒に執着し、ギャンブルが好きな人はギャンブルに執着し、誰かに愛されたいという人は好きな人に執着します。それらの執着の結果、依存症に陥るのです。

 

依存症の人の中では、ひとつの価値観への執着心が異常なまでに高まっている状態です。それしか考えられないほどに高まっている状態です。

 

もし、依存症の人に現在依存しているものと同等の価値のあるものが他にあったなら依存症に陥ることはなかったと思います。でも、依存症の人には依存しているものしか自分を満足させてくれるものがなかった。だからその価値に執着してしまった。そのため依存症になってしまったのです。

 

依存症の人には価値観にひどい偏りがあります。その偏りが自分の人生にマイナスにならないのなら問題ないのですが、残念ながら依存症に悩んでいる人はその偏りのせいで問題が生じています。

 

普通の人は、多様な価値観を楽しむことで強烈な欲求不満に陥らないようにしています。でも、依存症の人は偏った価値観の中でしか楽しめないため強烈な欲求不満に陥りやすくなっています。

 

強烈な欲求不満に陥いる可能性を低くするには多様な価値観を持つことが大事です。多様な価値観を楽しめるようになりましょう。そうすることが強烈な欲求不満に陥いる可能性をゼロに近づけるもっとも良い方法だと僕は思います。

 

つまらなそうだからやらない、めんどくさいからやらない、失敗するのが嫌だからやらないではなく、とりあえず興味があることはやってみましょう。やってみたら意外と面白いというものに必ずあるはずです。だからとりあえず興味があることはやってみましょう。

 

方法2・ストレスを溜めすぎない

ストレスを溜めるということは欲求不満が高まるということでもあります。その溜め込んだストレスを解消したという欲望が強くなるということでもあります。

 

ストレスを溜め込みすぎると、うつ病になったりや問題行動(家庭内暴力、自傷行為、弱い者いじめなど)をとったりしてしまう可能性が高くなります。

 

それが現実にならないようにするためには、上手にストレス解消をする必要があります。

 

手軽にストレス解消する方法はやはり運動だと思います。散歩でもいいし、筋トレでもいいし、テニスでも、卓球でもいいのでとにかく運動をする習慣を身につけましょう。

 

ハードな運動をする必要はありません。自分が楽しい・快適と感じるレベルの運動でOKです。

 

注意!

あまりハードにやるとその運動が新たなストレスを生み出してしまう場合がありますので注意してね。

 

方法3・疲労を溜めすぎない

疲労もストレスの原因になります。人は疲労が溜まるほどに休みたいという欲望が強くなります。その欲望が酷くなるほどに苛立ちが強くなります。苛立ちが強くなるとちょっとしたストレスでもカッとなり攻撃的になってしまいます。

 

疲労を溜めこみすぎないようにするには、メリハリのある生活を身につける必要があります。がんばるときはがんばり、休むときは休む。頑張り屋の人や真面目な人、責任感の強い人、劣等感の強い人、完璧主義者の人は休むべきときにさえがんばってしまう傾向が強いです。

 

メリハリのある生活を身につけ、上手に休息できるようになりましょう。仕事中も絶えず100%の力でやろうとするのではなく、60%の力でできることは60%の力でできるようになりましょう。それができるようになるように工夫しましょう。

 

絶えず100%の力でがんばる必要はないんです。力を抜いてもいいことは力を抜いていいんです。野球選手も試合中、常に100%の力でプレーしているわけではありません。サッカー選手もマラソン選手も常に100%の力を出しているわけではありません。60%のときもあれば70%のときもあります。そしてここぞというときプロの選手は100%の力を出します。

 

一般の仕事も同じです。常に100%の力を出す必要はないのです。60%、70%のの力でいいときもあるのです。そしてここぞというときに100%の力を出すのです。仕事でもそんなふうにメリハリのある力の使い方ができるようになりましょう。そうなれるよう工夫してしまいましょう。10%の力でいい仕事は10%の力でできるようになりましょう。

 

力を温存することができるようになれば違うことにその力を使うことができます。新たな資格や技術を習得することにその力を利用することができます。

 

力の上手な使い方を身につけましょう。

 

●日本人は偏った精神論に毒されやすい

日本人は精神論に毒されやすい環境にあります。子供の頃から努力することを推奨され、ドラマや漫画では努力が美化され、スポーツ選手は努力の素晴らしさを語る。四六時中、努力の素晴らしさが流れている。それが日本の現状です。

 

確かに努力は素晴らしいし、必要なものです。でも、努力は諸刃の剣の要素があります。人を向上させる努力もあれば、人を傷つける努力もあります。傷つけるだけでなく、その人の命も奪うこともあります。でも、そのことを伝えず、努力の良い面だけを伝えるメディアや人が多いような気がします。

 

なぜそのような偏った努力論を伝える人が多いのか?それは努力の素晴らしさを何度も伝えることによって洗脳するためではないかと僕は思っています。社会にとって都合の良い人間を作り出すため美しい精神論を垂れ流すのです。そんな偏った精神論を長年、浴び続けた子供は偏った精神論に毒され、無茶な努力をするようになってしまう。そして無茶な努力をし続ける大人になってしまう。そういう大人が現在の社会にはたくさんいるような気がします。

 

そういう大人がたくさんいるから「鬱病になる人が増えているのではないか」「異様に疲れているのに休まずに努力を続ける人が増えているのではないか」と僕は思います。

 

あなたは偏った世親論に毒されていませんか?死ぬまで頑張ることがかっこいいと思ってませんか・血反吐を吐く思いでがんばることがかっこいいと思ってませんか?一度、自分の精神論を検証してみてください。

 

僕は死ぬまで努力することがかっこいいとは思いません。

 

あなたはどう思いますか?

 

●オーバーペースはストレスのもと

マラソンの試合で前半はトップを快走していたのに、後半急激に失速してしまい、終わってみれば平凡な成績で終わってしまうという選手がいます。実績のある一流の選手でもこのような現象が発生することがあります。原因はいろいろありますが、その原因の中にはオーバーペースという原因が含まれていることが多いです。

 

オーバーペースとは試合の前半で力を使いすぎて、後半バテてしまうという現象です。

 

仕事でもこのオーバーペースという現象が発生します。朝からがむしゃらに仕事に取り組みすぎたため、午後にはバテてしまい、仕事効率が落ちてしまう。これはオーバーペースが原因です。あるいは月曜日から水曜日までがむしゃらに仕事をします。でもそのがむしゃらさが原因で疲れが溜まりすぎ、木曜日から金曜日は作業効率が悪くなってしまう。これもオーバーペースが原因です。ほとんどの人が仕事や勉強でこのオーバーペースを経験していると思います。

 

でも、ほとんどの人は経験を積むことによってペース配分を学び、オーバーペースに陥らないようになっていきます。

 

でも、真面目で責任感が強く、さらに偏った精神論に支配されている人はこのオーバーペースから抜け出せない人がいます。作業効率が悪いからではありません。作業が終わるとすぐに次の作業を始めてしまうからです。真面目ゆえに責任感が強いため、疲れていても次の作業を始めてしまうのです。

 

その作業が指示された作業ならがんばってやらなければなりません。でも責任感の強い人は指示されていない仕事までやろうとします。仕事をやらないでいると罪悪感を感じてしまうからです。罪悪感を感じてしまうのは偏った精神論が原因です。仕事中に休んではいけないという偏った精神論が原因です。確かに仕事中、休むことは良くないことです。でもそれは体調が良いときの話です。体調が悪いときは休んでもいいんです。規定の仕事が終わっているのなら休んでもいいんです。でも偏った精神論に毒された真面目な人は調子が悪くても規定の仕事が終わっても他の仕事を探し、がんばってしまう。

 

そんながんばり方を続けていれば年中、オーバーペースに陥り続けてしまいます。実際、そんなオーバーペース地獄に陥る人が現代社会にはたくさんいます。

 

仕事をしていないと罪悪感を抱いてしまう。疲れていても、病気でも仕事をしていないと罪悪感を感じてしまう。多かれ少なかれ人の中にはそういう罪悪感を抱く傾向があります。でも過剰なまでに罪悪感を感じるのは病的としか思えません。偏った精神論に毒されているとしか思えません。

 

人には個性があります。個性があるということはペース配分にも個性があるということです。でも現代社会はその個性を無視した仕事量を作業者に強制している会社や学校や大人が多い。そのせいでオーバーペース地獄に陥り、うつ病や適応障害などの精神疾患にかかる人が増えています。

 

大事なのは過剰なまでに社会のために尽くすのではなく、自分の個性に合った仕事や生き方を見つけることだと僕は思っています。もちろん、ある程度は社会のために尽くす努力は必要です。でも適応障害やうつ病になるまで社会に尽くすのは問題だと思います。

 

人生最大のチャンスとかここが踏ん張りどころという場面で過剰な努力をするのは良いことだと思います。でも別に人生最大のチャンスでも踏ん張りどころでもないところで過剰な努力をし続けるのは、破滅主義・特攻隊的美意識に陥っているとしか思えません。

 

仕事が常に辛いと感じていませんか?毎日のように辛いと感じている人はオーバーペース地獄に陥っている可能性があります。もし、自分がオーバーペース地獄に陥っていると思ったら、自分の仕事の仕方を検証してみてください。疲れているのに規定の仕事以外までやっていませんか?過剰なまでに職場の人間に気を遣っていませんか?疲れているのに家でも過剰な勉強や運動をしてませんか?もし、体調を崩しているのに、疲労困憊なのでそういう努力をしている人はオーバーペース地獄に陥っている可能性が高いです。偏った精神論に毒されている可能性も高いです。

 

もし、オーバーペース地獄に陥っていると思ったら、偏った精神論に毒されていると思ったら生き方を変える必要があります。そのままの生き方をしていたら確実に身も心もボロボロになってしまうからです。そうなる前に行き方を変える必要があります。自分の個性の合った生き方に変える必要があります。自分に優しい生き方に変える必要があります。病気にならない生き方に変える必要があります。オーバーペースにならない生き方に変える必要があります。偏った精神論を正す必要があります。

 

人生は長いです。その途中で病気になって障害を負えば、一生、その障害を背負って生きなければなりません。オーバーペース地獄に陥っている人はそういう障害を負うリスクが高い状態にあります。そんな障害を負うまえに過剰な努力をやめましょう。一般の仕事にそこまでの努力をする価値はありません。だから過剰な努力をし続けるのをやめましょう。